2008年1月10日木曜日

Man and nature are valued

去年を振り返ってみると,2007年は様々な面で深刻な問題が多かったような気がする.社会面では,政治混沌,官僚不信,格差社会,悪質事件の多発,過疎化の進行で消滅しそうな“限界集落”の増加etc.企業については,食品,建設,人材派遣などの企業で偽装が発覚.経営トップが頭を下げる場面があった.しかも,その釈明でさえ倫理観に欠けるものが見られる始末(シラを押し通せるほど世の中甘くないのに).さらに,経営そのものが米国のサブプライム問題や原油高,新興国の追い上げなどでグローバルな試練にさらされている現状が浮かんできている.2008年はこれらを克服できないまでも,克服の足掛りとする年にしなければならないと警鐘を鳴らす有識者の方々の意見をよく見聞きした.日本の経営者は真摯に受け止め,今まで以上にトップマネジメントを行使する必要に迫られている状況下であることは否めないことなのかも知れない.どれも重要な課題なんだから.

また,一方ではすべての根幹をなす「人」の教育面でも教育改革が迷走している.OECDのPISA(国際学習到達度調査)では,日本の学力低下が明らかになった.といっても,いまさら過去の教育カリキュラムに戻したところでPISAで指摘された「応用力」や「読解力」の低下はすぐには止められないと考えられる.

このような状況で,ITはどのような役割を担うべきなのか?どのような位置づけであるべきなんだろうか?いずれにしろ,一般的にはこうした多くの深刻な問題に,ITが力を貸すようなことがあってはならないと言われている.ITは必ずしも問題解決に貢献しない,と.しかし,ITの活用は必須で不可欠なものであることは議論の余地が無い.んじゃ,実態はどうなんだろうか?

ITは必要不可欠だが,必ずしも効果をもたらすものではない.案外これが実態なのかもしれない.標準的なフレームワークやAPIの充実は設計者の技術力を削ぐおそれがある.便利な反面,部品の使い回しができるので,思考が画一的になる傾向がある.乱暴な言い方をすると,設計者の技術力が養われない,あるいは退化するおそれがある.また,ITが仕事を偽装する場合もある.パソコンに向ってさえいれば,仕事をしていると見なされたり,経営者から担当者まで,現場に行きもせずパソコンのデータを眺めるだけで,仕事をしたつもりになったり.ITがコミュニケーションを皮相的(うわべだけで深い考え,本質にまで及ばない)にすることもある.座席が前後する上司と部下,隣り合わせの同僚がメールで連絡し合う.パソコンやケータイは,言葉や文章を簡略化する.その結果,漢字力や文章の作成力,読解力を落とし,表現力や思考力,創造力を低下させて行く.何かが狂っている.

一説によれば,情報とは「個体を環境にむすぶもの」である,ということを聞いたことがある.「個体」を「人間」に置き換え,「環境」の基が「自然」であることを考えると,情報とは人間と自然を結ぶものであるといえる.

だとしたら,人間は人間を含む自然と言う生命システムを軽視し,人間社会という閉じた情報を重んじてしまった.そこから,多くの面で情報とその利用の仕方に歪みが出た.人間社会の情報は,時代と共にますます歪曲され,人間を自然から分断し,人間性を喪失させ,倫理上の問題を惹起していく.日本文化の退廃をもたらす可能性を孕んでいる.もう,目の前にある深刻な問題を,ただ単純に未来へ先送りすることを止めなければならない事態に陥っているハズなのに.

前述の"情報とは人間と自然を結ぶもの"が真実なら,真に尊重されなければならないのは,"人間と自然"なんだとぼくは思う.だとすれば,「自然と人間の尊重」を経営理念に掲げ,その実現のために経営者や従業員の教育カリキュラムを編成したり,従業員に社会貢献活動を義務付けるなど,教育を徹底していかなければならないんじゃないのか?そうすれば人間の存在が重視され,IT万能主義が排除されることに繋がるんじゃないのかな?

こうした努力を通して,ITが「人間を含む自然という生命システムをよりよく維持する」ことに真に貢献する日が,必ずやってくるとぼくは信じたい.

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